大應寺納骨堂 仏壇型納骨壇
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永代供養について

ご遺骨の永代供養

□最近、終活、墓じまいに関するテレビ等の特集で永代供養という言葉をよく耳にします。確かに近年子供たちに苦労をさせないため、あるいは後を継ぐ 後継者がいないため、納骨堂や永代供養墓に遺骨を納め永代供養したいと考える方が非常に増えております。
ただ一言で永代供養といっても様々な解釈によって、言葉だけがひとり歩きしているようにも見受けられます。
そこで今一度、永代供養についてきちんと確認をし、自らにとってどんな形の供養が好ましいのか考えてみましょう

永代納骨と永代供養

近年お墓の悩みでもっとも多いのは

1) 後を見ていく人がいないので無縁墓になってしまう

2) 墓地までのアクセスやご自身の健康状態が不安で将来お参りにいけなくなる

3) お墓の掃除や管理、子供世代への負担が気になる

納骨堂や永代供養墓に永代供養をすれば、寺院が管理し供養していってもらえるため、たとえ後継者がいなくても、後々だれも お参りに 行かなくなってしまっても決して無縁になることもなければ、草などが生えて荒れてしまうこともありません。将来の不安を取り除き、 安心して任せることができるわけです。先祖を敬い無縁墓にしてしまわないということはとても大切なことです。

■大應寺では寺院一体化した納骨堂と敷地内の合祀堂により 常に本堂でのお勤めが安置されたご遺骨に届いております

■春には永代経法要、夏には納骨者追弔会や盂蘭盆会法要等の大法要がございます

■したがってあえて永代供養と強調しなくても、永代納骨により末永くしかも手厚くお勤めがあがっていくので、たとえ将来や後世が ご不安であったとしても安心してお任せいただけるのです

ご法事と永代供養について

では、永代供養でお寺が供養してくれるのならお参りに行かなくても良い、法事など仏事を行わなくても良いのでしょうか?

実際にはほとんどの方が、お参りに行かれますし、年忌法要などのご法事も出来る限り勤めていらっしゃいます。

なぜならこの永代供養とはご遺骨に対する永代供養であって、 むしろ永代納骨を意味するからです。“ご遺骨を永代納骨する”という言葉がいつしか“ご遺骨を 永代的に供養する“という言葉にすり替わり、今では“ご遺骨を永代供養する”という言葉を生み出してしまったような気がします。

したがって、ご遺骨の永代供養とご法事など通常の仏事とでは全く種類の異なることであり、ここがとても重要なことなのです。 この点を勝手な解釈で取り違えている人が少なからず存在するようでまことに残念なことです。

供養とは

確かにお参りしてくれる人がいなかったり、ご事情で仏事を行っていくことが困難な場合、お寺に全てを任せ 永代供養をお願いしなければならないこともあります。 ただ、あまりにも簡単にお寺にに丸投げして“後はよろしく”では悲しすぎませんか。

永代供養とは末永く供養されていくこと。供養とは共に養うと書きま す。 亡き人と共に歩み真実(仏の教え)に出会っていく。亡き人をご縁として 自らの命が養われ、今を生き抜く勇気と力をいただき生かされていくことと理解できます。とすれば、供養とは亡き人を通し 自らが供養されていくことにほかならないのです。

もし永代供養という言葉だけに終始して、せっかく亡き人から与えられたお参りのご縁を見失うようでは 一体何のための供養なのか意味をなしません。

大切なことは故人を偲びつつ、いただいたご法縁をしっかりと活かしていくことなのです。お寺に永代供養をしてもらうということは、 末永くお念仏をいただき、ご法縁の場である寺院に積極的に参拝し故人を偲び感謝していくことなのでしょう。

最後になりますが、上記の意味で浄土真宗には“永代供養”という概念 は 存在しません。末永く故人を通してご法縁をいただき故人と共にお念仏の教えに出会っていく。そしてご先祖の遺骨の前で手を合わせた時、 しっかりと歩んでいるご自身の姿を末永く故人に見せてあげて下さい。それこそが本当の“供養”であり、意味のある“永代供養”といえるのではありません か。




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